齊藤未月と石原広教の原点、藤沢FCを訪ねて

藤沢FC選手

湘南ベルマーレで活躍する幼なじみの二人は、子どもの頃に藤沢FCでサッカーを始めた。二人の成長を見守っていた監督と当時のチームメートに話を聞いた。

文・写真=大西 徹(SHONAN BOOK) 取材協力=藤沢FC

藤沢FC キンダーコーチ 鳥山宏さん「未月は真面目で、広教はやんちゃだった」

――鳥山さんは未月選手と広教選手が藤沢FCにいた頃に監督を務めていたそうですね。

はい。2002年の日韓ワールドカップぐらいから息子がこのチームでお世話になって、途中転勤があって中断しましたけど、去年戻ってきて今はキンダー(幼稚園児)のコーチをしています。このチームができてもう42年で、代表の森(憲一)も僕もサッカー未経験ですけど、とにかく子どもたちにサッカーを楽しんでほしいという思いで活動しています。

――活動の拠点は藤沢小学校のグラウンド。

基本的には藤小です。ただ、野球もここを使っているので、土日両方を専有できるわけではなくて、グラウンドが取れない時は違うところを使用します。

――未月選手と広教選手もここでサッカーを始めたんですね。

そうですね。二人は幼稚園の年長から、2004年の秋ぐらいから来たのかな。

――未月選手のお父さんもコーチをしていたと『SHONAN BOOK』の対談で二人が話していました。

そうです。未月の家はここから少し遠かったのでお父さんと一緒に来てました。お父さんも社会人リーグでサッカーをしていたから一緒にやろうよと引きずり込んで(笑)。とにかくその頃はスタッフが少なかったんです。僕も自分の子どもが卒団したら引退しようと思ってたんですけど、「鳥さんやってくれよ」と森代表から頼まれて。未月のお父さんは結構厳しくて、僕が未月の動きを見て「ナイスプレーだな」と思っても、お父さんは「そんなんじゃダメだ」って未月には厳しく言ってました(笑)。自分の子どもに目が行ってしまう気持ちはよく分かります。そういえば、未月も広教も早生まれなんですよね。

――1999年1月生まれと2月生まれですね。

だからチームに入ってきたのが幼稚園の年長といっても、早生まれの二人は年中みたいなもので、年長の他の子どもと体格を比べると小さいんですよね。でも、未月は真面目だし、広教はやんちゃで運動神経の良さが目立っていました。

背番号は未月が11番、広教は12番

――広教選手は当時GKもしていたそうですね。

彼はその頃日本代表だった川口能活選手が大好きで、誕生日にキーパーグローブを買ってもらったのかな。僕はGKもフィールドも好きなようにやらせていました。もちろん大事な試合の時はポジションを決めますけどね。例えば、前半は広教や未月で点を取って、勝ったかなと思ったらGKをやらせていました。広教はフィジカルや反射能力がずば抜けていたから、GKとして大成するんじゃないかと思っていたんです。

――未月選手についてはどんな印象を持っていましたか?

今あそこで子どもがブランコをして遊んでいますよね。普通、低学年の子どもは練習が終わると、ああいうところで遊ぶんです。でも、未月は練習で疲れてしまって遊ぶ余力もなく、お父さんのバイクの後ろに乗って家に帰るんだけど、僕が「じゃあ未月、さよなら」って声を掛けるともう寝てるんですよ。

――練習でクタクタになっていたんですね。

そうです。遊ぶ余力がないくらい一生懸命練習をしていました。2年生の時は未月がチームダントツの42点を取っています。未月がゴールを入れるとGKの広教が「フィールドやらせてください」って言ってきたこともありましたね(笑)。背番号は未月が11番、広教は12番でした。4年生の10月にベルマーレジュニアのセレクションを受けて、うちからは広教とヒロム(小長井大夢)が受かったんです。未月は5年生に上がる時にもう一度チャンスがあって、そこで受かった。負けず嫌いなところは子どもの頃から。そのまんま大人になってる印象ですね。未月は誰よりも練習していました。ベルマーレのジュニアに行ってから、もっともっと努力したんでしょうね。

――広教選手のご家族は?

お母さんが熱心で付きっきりで来ていましたね。サッカーが好きな一家で、広教のお姉さんは、なでしこリーグの(ニッパツ横浜FC)シーガルズでプレーしていた石原美聡さん。もともとバレエをしていたんだけど、5年生から藤沢FCに入ってきて男の子に負けず劣らずレギュラーとして試合に出ていました。

――地域の子どもたちが藤沢FCに集まっていたんですね。

当時の藤沢FCは藤小に通っている子どもが8割か9割でした。だから未月は珍しい例です。幼稚園児でもサッカーができてチームが強いといううわさを聞きつけてみんな来てくれたのかな。今は藤小の子どもは4割ぐらいですが、それほど宣伝はしてなくても来てくれます。あとは手前味噌ですけど指導者体制がきっちりしてるんですよ。

GK広教がPK戦で3連続セーブ

――印象深い試合はありますか?

藤沢市で「J」というのは1年生のカテゴリーなんですけど、市の大会では1年生と幼稚園児でJチームを作って2年生のカテゴリーに参加していました。(資料を見ながら)これは1年生になって最初の公式戦ですね。2年生と試合をして初戦は負けました。

2005年5月28日(土)晴
辻堂小学校
藤沢市少年サッカーリーグ(前期)2年生
藤沢FC 0-4(0-1 0-3) 辻堂I

――鳥山さんがJチームの監督で、未月選手のお父さんがコーチだったんですね。

そうですね。そして、これが広教の初ゴール。

2005年7月17日(土)曇
女坂グラウンド
練習試合 13分 3セット
藤沢FC 1-0(1-0 0-0 0-0) アルゼンチン
得点 広教(初ゴール)

これは未月の初ゴール。1年生の8月、練習試合ですね。

2005年8月6日(土)猛暑
海老名市 大谷小学校
練習試合
藤沢FC 4-0(2-0 2-0) 海老名キッカーズ
得点 大夢、未月(初ゴール)、広教、拓磨

藤沢市の決勝は僕の中で一番印象に残っている試合です。そこで優勝すると、こどもの国キリンカップという神奈川県の大会に招待されるので、勝つか負けるかで一年間のスケジュールががらっと変わりますからね。

2006年6月3日(土)曇
村岡小学校
第40回藤沢市壮年サッカー選手権大会

準決勝
藤沢FC 2-0(1-0 1-0) 六会湘南台
得点 守、未月

決勝
藤沢FC 0-0 PK3-2 村岡
・藤沢 ○未月 ○ ✕ ✕広教 ○
・村岡 ○ ○ ✕ ✕ ✕(広教3連続セーブ)

――PK戦一人目のキッカーは未月選手ですね。

自信があったんでしょうね。

――そしてGKは広教選手。

3連続で止めたんですよ。相手の5人目が蹴って、これは入れられたかと思ったら、広教が横に飛んで右手ではじいたんです。どういう心境だったのか後で聞いたら「絶対に止めてやる」と。広教の運動神経はずば抜けていましたね。

藤沢FC

少年団の役割は子どもたちに機会を与えること

――藤沢市の大会ではPK戦の末に優勝したんですね。

その後、キリンカップに出場したんですけど、バディに負けてしまい、その時のみんなの悔しそうな表情が印象的です。

2006年9月10日(日)晴
こどもの国総合グラウンド
第26回こどもの国キリンカップ少年サッカー大会 1回戦
藤沢FC 1-4(0-1 1-3) バディ
得点 拓磨

4年生の時に神奈川県の大会に出場して、準々決勝で横浜F・マリノスプライマリー追浜を破ることができたのは、彼らがいたから。当時は11人制だったから少年団にも勝算があったんです。でも、今は8人制になってスペースがあるから、相手に一人うまい子がいるとなかなか勝てなくなりました。

第35回神奈川県少年サッカー選手権大会中央大会
2008年2月11日
みなとみらいマリノスタウン

準々決勝
藤沢FC 1-0 横浜F・マリノスプライマリー追浜

準決勝
藤沢FC 1-2 原FC

2008年2月15日
日産スタジアム
3位決定戦
藤沢FC 0-5 SCH.FC

第35回神奈川県少年サッカー選手権大会中央大会

――二人は藤沢FCで貴重な経験を積んでいたんですね。

幼稚園や小学校低学年の時にみんなで海岸に行ったり合宿をしたり、いろんなイベントに参加することでチームワークが生まれます。中にはサッカーをすることが目的ではなく入団してくる子もいますけど、試合に出て点を入れる面白さや負けた時の悔しさを体感しているうちにだんだんサッカーが好きになっていくんです。

――徐々に楽しくなってくるんですね。

未月や広教の土台は僕が作ったというわけではなくて、彼らはサッカーが好きで、試合に負けた時に次こそは勝ちたいと思ったんでしょうね。そういった積み重ねが今につながっている。少年団の役割は子どもたちに機会を与えること。大人になると幼稚園や小学校低学年の頃の記憶ってそんなにないと思います。でも、小さい頃の体験が無意識のうちにその後の成長に影響を与えていたからこそ今でもサッカーが好きで続けているんだと思います。

――あらためて二人に伝えたいことはありますか?

いつも二人の活躍は見ています。来年はオリンピックがありますし、今は与えられているポジションや役割に一生懸命取り組んでいれば絶対に結果がついてくるはず。だから、一試合一試合を大切に、全力を尽くしてほしい。みんなで応援しています。

藤沢FC

当時のチームメート 亀井亮佑さん「広教と未月は藤沢FCの誇り」

――亀井さんは藤沢FCで二人と一緒にサッカーをしていたそうですね。

はい。広教とは藤小、一中(藤沢市立第一中学校)、平塚学園と高校まで学校が一緒でした。

――藤沢FC時代の二人の印象を教えてください。

自分がチームに入って2年ぐらいたった時にGKをやることになって、広教がGKの基礎が書いてある本を貸してくれて、熱心に教えてくれたことが印象的です。未月はずば抜けてうまいという印象しかなくて、チームの中でも一番得点が多くて、試合をしたら必ず1点は決めていました。

――学校が違う未月選手と会うのは練習や試合の時だけだったのでしょうか。

そうですね。家が遠くてあまり遊べないので、練習や試合でしか会わなかったけど、その割にはみんなとすごく仲が良かったです。

――ベルマーレで頑張っている二人に伝えたいことは?

広教と未月は藤沢FCの誇りなので、時間があればたまには後輩たちを見てアドバイスしてくれたら、みんなもっと頑張れると思います。今は新しい世代としてチームを引っ張っていく存在だと思うので、これからも頑張ってほしいです。

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『SHONAN BOOK ISSUE 02』 対談 齊藤未月✕石原広教「2020年の決意」を掲載

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